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木の家を建てること・住まうこと1 「いま森で起きていること」
 
「戸建の家を新築するなら木造住宅を選ぶ」。そう答えた人が全体の80%に上ることが分かった。
…これはある住宅業界紙に掲載されたアンケート結果で、その理由は「木が好きだから(見た目がよい、温もりがある、癒される)」(58%)、「居住性に優れているから」(26%)と続いている「理想的な木造住宅は?」といった質問には、「柱・梁を現しで使う」が52%を占めているらしい。
んー確かに木の良さを反映した頷ける結果だ。無垢の木と自然素材を使った『木組みの家』を得意としている我が社としては嬉しい限りの結果でもある。
よし、よし。…でも何故か不安が残る。「憧れ」や「イメージ」だけが先行しているのではないか。…んっ、こうしてはいられない。これを単なるブームで終わらせないためにも、「木の家を建てること、そして住まうこと」を正しく知ってもらわなければ!!…ということで、ちょこっとスペースをお借りして拙いながらもその思いをシリーズで掲載させていただくことにした。
第一回目の今号では「木の家」を語るには避けては通れない、いや、避けてはいけない「森の話」としよう。
 今森で起きていること
67%、41%、80%。日本の森を知ってもらうための「3つの数値」だ。
 日本の国土の約67%が森林であり、カナダよりもアメリカよりもその割合は多く、実はフィンランド、スウェーデン等と肩を並べるほどの森林大国なのだ。そしてその森林の約41% が人工林なのである。戦後多くの木が伐採された結果、各地で針葉樹の人工林化が進んだのだ。しかし、こうした犠牲にもかかわらず、現在、国内木材需要の80%近くが外国から輸入される外材なのだという。
 日本の林業は衰退し、過密に植えられた人工の森は必要な手入れもされないまま荒廃し、壊滅的な状態に瀕している。逆に日本へ安く木材を輸出するために、地球上のあちらこちらの森が消滅しているのも事実だ。「木の家を建てる」ということは少なからずこうした地球規模での環境問題と繋がっている。では、私たちはどうすればいいのか…ぜひ、国内産の木を使って欲しい。出来るかぎり、宮城県で育った木を。そして、森で起きていることを理解した上で、木の素晴らしさ、おもしろさを堪能し愛して欲しい。そうすることが木の家を建て、住まうために、そして未だ見ぬ未来の子供たちのために、私たちが出来る最初のことだと思うからだ。
 



 
木の家を建てること・住まうこと2 「本当の木の家とは?」


 皆さんは「木の家」という言葉からどんな家をイメージするだろうか。造作や内装にふんだんに木を使った家を思い浮かべる人も多いだろう。しかし、もしその家が鉄骨やRC造りの骨組みだったとしたら木造建築とは言えない。逆に、造作や内装に全く木を使っていなくとも骨組みが木材であれば木造建築ということになる。正しいとか間違っているとか、良いとか悪いという問題ではなく、それぞれの理由や想いがあって造った“それぞれの木の家”なのであろう。
しかし、「本当の木の家」となるとそうもいかない。なぜならば、本物じゃない木で造った家や、本物ではあるが木の本質を無視して造られた家があまりにも多いからだ。本物じゃない木とは、合板や集成材、木の表情をしたビニールクロスなどの新建材を指す。これらは、生産性・収益性を優先し合理化を図った結果産み出された工業製品で、木の持つ本来の性質は既に持ち合わせていない。本物の木とは無垢の木であり、製材され柱や床に姿を変えてもなお生き続ける木を指す。零では、本来の素材の力を活かし造る建築こそが「本当の木の家」なのだと考えている。
木の本質を考えてみよう。木の一つ一つの細胞は中空の状態で、その無数の穴が空気中の水分を吸ったり吐いたりすることで湿度を調節してくれている。人間の肌と同じように呼吸しているのだ。また、その多孔性ゆえ触れたときに温かみを感じる。木には樹種や育った環境によって“クセ”があり、それを読みその力を利用することで丈夫な骨組みを手に入れることができる。そのクセを知らずにもしくは無視して使うことは欠陥を意味することとなる。設計士、大工にはその力量が常に問われる。その他、木には癒しの効果があるとされている。触覚、視覚、嗅覚など人間の五感で感じるもので、科学的な根拠もあるのだそうだが、理屈抜きに木が人間の波長にあっており、人間の本能がそれを求めていることは明白であろう。人間も自然界の生き物であることを考えれば当然のことである。
 木には、これらの他にも多くの性質があり、それは見る人、扱う人によって魅力的にも厄介モノにも映るであろう。だからこそ、イメージのみに支配されるのではなく、本質を探り、価値観や家族の生活スタイルとの相性を確認した上で、木の家をつくること、そして住まうことを考えていただきたい。
 
 



木の家を建てること・住まうこと3 「木は木で締める~伝統構成・木組みの話~」


 伝統構法はその名の通り日本で古くから発達してきた工法で、柱を建てそこに()()などの横架材を通し空間を構成する。結合部分は、金物に頼らず木と木を組み上げその力で締め付ける木組みだ。耐力壁は(ぬき)と呼ばれる材を柱に通し小さな長方形をいくつも構成したもの。地震などの揺れの力が加わると長方形から平行四辺形へと柔軟に形を変えその力を逃がすことで家を守る。揺れを感じやすい一方、粘り強く大きな地震でも倒壊に至るケースは少ない。また、耐久性が高く初期耐力の有効期限が長い。地震大国日本において古くから培われてきた技術と知恵がそこにある。
それに対して在来工法は、その名とは裏腹に西欧的な“剛”の思想を取り入れた比較的新しい工法である。結合部は羽子板ボルトと呼ばれる金物などで固定し、筋交い(すじかい)(トラス)の使用により縦横の構造材を動かなくするメカニズム。四角形に対角線を加え三角にして固める理論だ。揺れを感じ難い一方、ある程度大きな揺れの力が加わると結合部が破壊され筋交いが横架材を持ち上げてしまう可能性がある。筋交いに代えて合板に頼る「2×4」や「パネル工法」も一緒で、初期耐力は最も強いものの、その有効期限は短い。さらに付け加えるならば、釘やボルトなどの金物の寿命もけっして長いとは言えない。
零では「木組み」+「貫工法」の伝統構法がベターであると考えている。なぜベストではないかというとデメリットも存在するからである。設計者と職人の高い技量が不可欠なこの構法は工業化できない。手間がかかるのだ。それと前述した通り、小規模の地震でも揺れを感じ、中規模の地震では土や漆喰の壁にヒビが入ってしまう可能性も部分的に否めない。
零では、コストダウンのために木組みに掛かる手間を省くことはしない。しかし、敢えて天井を上げずに構造を現しにすることでコストダウンとデザインを両立させるといった工夫と合理化を多く導入していく。また、家づくり以外にかかる経費を最小限に抑える経営努力は相変わらず惜しまない。
零では、特に30代の若い世代にこそいい家を建てて欲しいと願っている。予算が限られているのは当然だが、だからといっていい家が手の届かない家であってはいけない。ならばまず100年持つ骨組みを手に入れよう。他は、20年後、50年後、70年後と、必要に応じて、愛情を持った手入れ・変更を加えていくことを前提とした家をつくろう。そうすることが、いい家を親から子へ、子から孫へと住み継ぐための秘訣でもあり、経済的に賢く、環境的にやさしい選択でもあるはずだから。
 
 



木の家を建てること・住まうこと4 「素直で正直な家づくり」
 
零では、デザインや間取りを考えるとき、常に「素直さ」「正直さ」を意識する。見た目に分りやすいこれらの要素は、家を建てようとする人達にとって最大の関心事である場合が多い。実際、デザインによって家の印象は大きく変わり、間取りによって暮らし方も大きく左右される。これらを考えることは、とても重要なことだし、何よりも楽しいことでもある。この楽しさを思う存分味合わない手はない。しかし、設計者はそうばかり言ってはいられない。なぜならば、デザインや間取りは、本来単体で存在できるものではなく「構造」との相関関係にあるべきものだからだ。構造を無視して間取りを決めデザインすることは、家の強度を損ない、余計なコストを生んでしまうことに繋がりかねない。デザインや間取りを手に入れるために、家の骨格を犠牲にするのでは本末転倒である。かといって、デザインや間取りを我慢しなくてはいけないのであれば、家づくりが苦痛になってしまうであろう。
零では敢えて、早い段階の打ち合わせでは、細かな希望を聞くことをしない。お話しするのは、趣味、家族、将来の話など。その中から、どんな価値観を持った方なのか、どんな風に暮らしたいと思っているのかをイメージとして描くことに重点を置く。そのイメージの中でプランに入るわけだから、ふたつとして同じプランにはならない。構造、間取り、デザインは、どれかを先行して決定するのではなく、それらの相関関係のなかでその合致点を生み出すのだ。構造と間取りが素直な関係にある家は、丈夫で無駄がない。そして不思議なことに暮らしやすい。また、構造がに出る家は、美しく知的であると同時に、どこか無骨で素朴な人間味を持ち合わせている。見せたくないものに綺麗にフタをしてしまうのは簡単だが、そうして得られる美しさは、どこか不誠実な気がしてしまう。
零では、建て主さんとの打合せを、設計者であり現場管理者であり予算管理者でもある担当者が基本的に一人で行なう。営業マンが数字を稼ぐために軽はずみな返事をするようなことは零ではできない。それはその重責を考えれば説明するまでもないであろう。気の利いたトークは得意ではないが、伝えたい家づくりの話は、くどいくらいにお付き合い頂くことが多い。そんな素直で正直で人間臭い家づくりを続けていきたい。 
 



木の家を建てること・住まうこと5 「土と漆喰の壁」
 
自然素材の壁は、空気を汚さない。いやな接着剤の臭いなどもちろんしない。また、湿度を上手に調節してくれる調質機能に優れている。それに土壁は、夏涼しく、冬暖かい。土壁が室内環境を一定に保つのに優れていることは、酒・味噌の貯蔵や、代々受け継がれる家財道具の保管に、土蔵が使われてきたことからも明白だろう。さらに、土壁は資源循環できる。粘土質の土に、わらスサと水を入れ発酵させただけの土壁は、もし大きな地震で壁が落ちてしまったときでも、水で練り戻すことで再び使うことができるのだ。土壁に戻す必要がなくなった場合には、自然へと還してあげればいい。
仕上げ塗り材としては、最近よく珪藻土という言葉を耳にする。簡単に言うとプランクトンの死骸が堆積したもので、多孔質であるため、耐火、断熱、保温性、調湿性、遮音性などに優れている材料だ。それ自体では固まらないので、石灰や粘土、セメント、合成樹脂などを混ぜて使う。様々な種類のものがあるが、土壁同様資源循環可能なものをお勧めしたい。
さらにお勧めなのが漆喰だ。主原料は石灰石を焼き水を加え消化させて得られる消石灰で、それにヒビ割れを防止するための麻スサと、ツノマタという海藻を煮てつくる糊を加え混ぜ合わせたものが漆喰である。漆喰の魅力は、ときが経つほどに強固さが増していく点だ。塗ってから空気中の二酸化炭素を吸収し炭酸化することによって、元の石灰石と同じ成分に変化するのである。つまり、粉末状のものが再び石に戻るのだ。また火に強く、雨で流れ落ちてしまうこともない。そして、純白である。電気もガスもなかった時代の人達にとって、明るく反射する漆喰の白は、どれほど眩しかったであろう。
零では10月の最終土日に、いま建築中の木組みの家に土壁を塗る体験会を実施する。興味のある方はぜひ参加して欲しい。
 



木の家を建てること・住まうこと6 「地震と上手に付き合う」
 
零では、免震構造で揺れに対して粘り強く大きな地震でも倒壊に至るケースの少ない「木組み」+「貫」の伝統構法を多く採用している。しかしこの構法にも、小規模の地震でも揺れを感じ易い、塗り壁に小さなヒビが入るといった欠点が存在する。私たちは、この欠点を把握しながら、その長所だけを取りざたした家づくりを行なっているわけではない。長所を最大限に活かしながら欠点をプラスに転じさせる工夫を施し現時点でのベストなメカニズムを追求しているのだ。
その工夫とは、「貫」で構成された耐力壁に、面材の構造用合板(現在はモイスを使用)とステンレスブレース(鋼製筋交い)を使うというもの。伝統構法なのに合板?筋交い?…そんなふうに思われる方もいらっしゃるだろう。確かに“鋼製筋交い”は「鉄骨造」、“構造用合板”は「2×4」「パネル工法」におけるメインの構造をなすものであるが、何もこれらをすべて採用することでどこにも負けない構造を手に入れよう、などと考えているわけではない。あくまでもメインの構造は“木組み+貫”であり、その欠点である小さな揺れを抑えるための手段として、ステンレスブレースや合板を使用するのだ。残念ながら、接着剤に頼っている合板と細い釘には、メインの構造としての耐久性はないと考えざるを得ない。
私たちは、地震大国日本において培われてきた伝統的な技術に、いま私たちが持ちうる新しい工夫を施すことで、昔ながらの強い骨組みと、現代の生活における利便性・快適性を、同時に手に入れられることを皆さんにも知って頂きたいと願っている。当社の取り組みが住宅業界の専門誌にも取り上げられているので、さらに興味のある方は、是非当社HPのプレス情報にアップしている「新建ハウジング取材記事」も読んで頂きたい。きっと、ここでお伝えしたかったことを、より深くご理解いただけるであろう。
 



木の家を建てること・住まうこと7 「暖のある住まい」
 
家づくりをお考えの方から必ずというほどご希望を頂くことに冬の寒さ対策がある。誰もが、寒い冬でも暖かく暮らしたい、そう思っているのだ。しかし、それぞれの話をよく聴いてみると、求められている暖かさには、質の違いがあることが見えてくる。私たちは、お客様の暮らしにあった木の家ならではの“暖かさ”をご提案している。
まずは、無垢の床。これは何も「床暖房」を入れましょうという提案ではなく、それ自体が多孔性である無垢の床は、柔らかく、冷たさを感じにくいということである。
次に、室内の木製サッシ。室内の暖かさは玄関や窓などの開口部から逃げていることが多く、いくら壁の断熱方法や材料に拘ってもそれだけで安心というものではない。零ではペアガラスのサッシの内側に木製サッシを入れることで、2重の空気の層をつくり暖かさを逃がさない方法をお勧めすることが多い。もちろんガラスでつくる空気の層なので、カーテンのように日中の貴重な陽射しを遮ることもない。
最後に薪ストーブ。好き嫌い、あるいは向き不向きが分かれるであろう。スイッチを入れればすぐに暖かい空気が出てくるような便利さはない。しかし、一度熱を蓄えた薪ストーブは、炎が消えても数時間は暖かさを保ってくれるのだ。しかもその暖かさは、乾いた熱風を吹き付けるものでも、ジリジリと肌を焼き付けるものでもなく、遠赤外線で心体の芯からじんわりと温めてくれるやさしい暖かさなのである。
そして、これらの寒さ対策に共通しており忘れてはならないことが“視覚的な暖かさ”だ。自然界から戴いた無垢の木のやさしい表情、そして太古から人類の暮らしの中心にあった炎は、私たちの本能に、そして人間らしい暮らし方に、ぴったりと寄り添ってくれているように感じるのだ。
零のショールームでは、無垢の床、木製サッシはもちろん、薪ストーブも毎日焚いている。この暖かさはぜひ体感して欲しい。   
 


木の家を建てること・住まうこと8 「住宅設備と豊かさ」
 
よく新聞の折込チラシで、システムキッチンやユニットバスなどを目にすることがある。どれも目を見張るほどの“機能の豊富さ”だ。確かに、目を奪われてしまう気持ちもよく分かる。でもどうだろう。果たして、そうした住宅設備機器で本当の快適さ、豊かさを手に入れることが出来るのだろうか?
 例えばお風呂。今は、リモコン操作が可能なお風呂がほとんどで、確かにこれは便利。でも、常に湯量や温度を快適に保つ機能は必要なのだろうか?答えは、“必要な人もいれば要らない人もいる”であろう。入浴の時間帯がバラバラな家族には、便利な機能に違いない。でもその分エネルギーも消費している。また「お先にお風呂いただきます」とか「冷めないうちに入っちゃいなさい」とか、お風呂を通して交わされてきたコミュニケーションがどんどんなくなっていくのは、どこか寂しい。
 お風呂の打ち合わせをしている時に多く希望に上るのが、“手入れのしやすさ”だ。特にカビが気になる場所だけにそうした声は多い。生活者の視点から当然のことである。でも、もし家づくりのすべてが「消去法」になってしまうのであればあまりにもつまらない。当然、結果的に住みにくい家になってしまっては問題だが、マイナス面を考えるばかりではなく、新しい家ではこんなことやりたい、こんな風に暮らしたいといった「加算法」の家づくりこそが本来の家づくりなのだと思う。そして、お客様に安心して楽しんでいただけるような仕事をすることが、私たちの役目なのだと。
 零では、キッチンや洗面台、お風呂を造作することがよくある。理由は、木の家に良く似合うこと、希望通りの使い勝手にできることだ。それに、ワクワクしたり、愛おしく想ったり、そんな気持ちも作用しているのだろう。写真は、造作とユニットの良さを両立したハーフユニットバスの造作風呂。今頃は、気持ちよく湯船につかってくれていることであろう。 
 



木の家を建てること・住まうこと9 「活きる収納」
 
もともと農耕民族である日本人は、モノを蓄える習性が強いのだろう。もちろん昔のように大量の食料を蔵に備蓄しておくような必要はもうないのだが、それでも、いろんなモノが溜まってしまい家族の生活スペースを侵食しているお宅が少なくない。モノがあふれている時代だからこそ起こっている現象なのだろう。
家づくりをお考えの方にとって「収納」は一大テーマであり、その関心は「構造」や「デザイン」をも上回る勢いだ。住宅会社もこぞって収納を売りにしたCMを展開している。この状況が正常であるとは思えないが、多くの生活者の声でもあることは確かなようだ。
零でも収納の様々な要望にお応えして、「納戸」や「造り付けの家具」など手づくりの注文住宅の強みを活かした収納を提案している。お客様にも喜んでいただけ、見学会などでの評判も実に良い。また、「今まで使ってきた置き家具の活用」や「外物置」、さらに、古くて新しい収納スタイルでもある「土間」を提案することも少なくない。私たちが収納をプランする際に大事にすることは、わずかな隙間も見逃さず収納を増やすことではなく、その収納が生活の中でどれだけ活かされ、その収納によって生活がどれだけ活きてくるかということだ。動線を考慮し玄関と連動させた納戸、使い勝手の良いキッチン背面収納と食品庫、泥のついた野菜をそのまんま保管できる土間。こうした活きた収納によって、本当に必要なものを、大切にそして機能的に使うことのできる暮らしが実現できると思うのだ。雑多なモノを仕舞い込み、蓋をしてしまうだけが収納の役割だとお考えの方には、是非、もう一歩踏み込んで収納を、そして生活を考えていただけたらと思うのである。
 



木の家を建てること・住まうこと10 「地球温暖化と木の家」
 
地球温暖化の進行を少しでも遅らせるために、家づくりにおいてできることは何であろう。省エネ型の電化製品を選んだり、断熱にこだわってみたり、確かに必要なことだ。しかし、もっと広い視点を持って家づくりを根幹から考えてみて欲しい。
お伝えしたいのは、木で家をつくること。しかも地元の木を使ってだ。木は二酸化炭素を吸収し、炭素化合物として樹幹内に固定する。伐採された木は吸収こそできなくなるが、木は家に、森は街に姿を変えその機能を保ち続けるのである。
また、木材は極めて製造エネルギーのかからない建築資材だと言える。木を育ててくれるのは太陽と水、つまり自然エネルギーだ。伐採や乾燥、運搬などにエネルギーを使いはするが、他の建築資材を得るために燃やされる化石燃料と比べると明らかに少ない。しかも、地元の木を使えば運搬にかかるエネルギーをもっと減らすことができるし、何より日本の林業が元気になる。わざわざ外国の森を荒らし、多量の重油を燃やしてまで海を運んでくる必要はないのだ。
さらに、木材は循環可能な資源でもある。固定され続けた炭素は燃やされることによって再び放出されるが、その時点においても吸収した量と同じ。二酸化炭素を吸って成長した木をどんどん使い、代わりに吸収力の強い若木を植える。木材が家としての役目を果たしている間に若木は成長し、次の家をつくる材料となる。家としての役目を全うした木材や、手入れの過程で間伐された間伐材は、バイオマス燃料となり私たちの暮らしを暖めてくれる。もともと狭い国土に豊かな森林を有する日本にとっては、昔そうであったように森と自然から資源を戴き、人の手入れによって循環させる、このシステムが合っているのだ。しかも、この循環にとって長寿命の家を建てることは、なおのこと良いことであろう。
零ではこんな想いもあって、国産材を使い住み継げる家を建て、間伐材や建築廃材で薪ストーブを焚いている。 
 



木の家を建てること・住まうこと11 「大工職人の今」
 
驚かれるかもしれないが、今、ノミやカンナを持っていない、あるいは使えない大工さんは少なくない。それでもつくれる家づくりが、今の日本の主流なのである。数多くの家を量産することを最優先した結果、日本の家は「建てる家」から「買う家」へと姿を変え、同時に職人たちが腕を振るう機会を大幅に奪い取ってしまったのである。
それまでは無垢の木の習性を読み、一本一本墨付けをして手刻みで加工するのが当たり前だったのが、全自動のプレカット工場で規格通りに製品化された木材を与えられるようになり、扱いの容易な集成材や合板を多用するようになっていく。この動きは、手間がかからず技術を持たない作業員でも施工が可能なこととクレームレスを理由に、多くの大工職人に歓迎をもって受け入れられたのだ。また家を買う側も、無垢の木の表面的な動きに過剰に反応し、割れや捻れのない集成材の梁や柱、傷が付きにくく床鳴りのしない、合板+新建材のフローリングを求めることで、拍車を掛けてきたのである。
価値観としてこうした家づくりが存在することを否定するつもりはない。ただ、長い年月をかけて受け継がれてきた日本の文化が途絶えようとしていること、石油化学製品の多用によって人体や環境に悪い影響を及ぼしていること、そして家の寿命が他の先進国と比べても極端に短いことなどの事実がある以上、今の日本の家づくりの在り方が正しいとは思えないのである。
零では、国産無垢材を使い全棟手刻みで、伝統工法(木組み+貫構法)の家を建てている。そこには、高い意識と技術を持った大工職人の存在が不可欠であり、そうした職人たちは、今もその技術に満足することなく、更なる向上と合理化を図るために、日々努力を惜しまない。また、それが楽しいのだ。そこには気負いや正義感があるわけではなく、ただ当たり前のことを正直にシンプルに積み重ねているように見える。ものづくりの原点がそこにはあるのだろう。こうした当り前の仕事を当たり前にこなす大工職人は実は多くはいない。若い人たちをこうした大工職人に育てていくことは現に私たちの課題であり、目標のひとつにもなっている。
 



木の家を建てること・住まうこと12 「楽しい家づくりのススメ」
 
「注文住宅」という言葉があるが、私たちの感覚の中ではあまりしっくりと馴染むものではない。なぜなら、お客様からいただいた様々な注文を忠実に具現化していくことが家をつくるということだとは思えないからだ。私たちは注文ではなく、どんな風に暮らしたいのか、そのイメージを飾らない感覚的な言葉でいただくようにしている。考え抜かれた理論的で隙のないどこかの総理大臣のような言葉ではなく、反射的に出てきた言葉や、うまく表現できない形のない想いこそが、根っこにあるものだと思うからだ。長嶋さんのような擬態語・擬音語交じりの言葉のほうがよく伝わってくる。そして受け止めた世界観を形式ばらない素朴な手書きのプランで表現し、肩の力を抜いてご覧いただくのだ。家づくりにおいて、お客様は神様ではなく、設計者も先生であってはならない。かと言って、家族でも友達でもない。立場は違えど純粋にいい家をつくりたいと願う両者なのだ。そのため、お互いの想うところを伝え合い、時にははしゃぎ合い、時にはぶつかり合いながらプランを練っていく。そしてお互いが自画自賛できる絵を描くのだ。こうして得られたプラン、そして信頼関係こそが、家づくりで最も大切な礎となるのだろう。いい家づくりとは、やはり人と人なのだ。私たちも人間味・人間力を磨き、魅力のある存在になるために日々精進である。これは、技術的・知識的精進よりも大切だ。
ここで、生意気ながら楽しい家づくりのためのちょっとしたアドバイス。
      言いたいことは、素直に率直に口にしよう!
      “~ない家づくり”ではなく、“~たい家づくり”を!
      悩んでもしょうがないことや場面では、くよくよしない。悩むべき時にしっかり考えよう!
こんなことを頭の片隅にでも置いていただけると良いのではないだろうか。
家づくりは、もともと楽しくておめでたいこと。そんな幸せな時をご一緒させていただき、更なる幸せのお手伝いが出来るこのお仕事を、つくづくありがたく思うのである。
 



木の家を建てること・住まうこと13 「軒と庇(ひさし)の話」
 
日本には四季があり雨もよく降る。梅雨時は、湿度と気温の上昇でとにかく蒸し暑い。こうした風土には、やはりそれにあった家を建て、それにあった暮らし方をするのが自然であろう。
 日本の家の特徴のひとつに、深い軒の出と庇があげられる。これらは、雨から外壁や開口部を守り、夏の日差しを遮り、冬の日差しを取り込む役割を果たしている。また、雨の日でも窓を全開にできるため、風を通すことが出来るのだ。ちなみに零の家の軒の出は通常90~120cmだ。
 今の人気の建物には、軒のないものも多く存在している。軒の出があっても45~60cmの建物が多いようだ。なぜなのだろう。軒の出のない建物は、そのデザイン性を優先させた結果だと推測でき、短い軒の家は、境界線ギリギリまで建物を建てようとした結果充分な長さを確保できなくなっているようなのだ。確かにデザインにしても、容積にしても大切な家づくりの要素である。こうした考え方や建物を否定する気は全くないのだが、それによって失われるものがあることは押さえておいたほうがよいであろう。
 ここで、昔から営まれてきた軒下の風景を思い浮かべてみて欲しい。暑い時期には、引き戸や窓を全開にして簾を下げ、寒い時期には、柿や大根を干す。そして1年を通して洗濯物を乾かす。軒下の犬走りでは農作業を、濡れ縁ではご近所さんとおしゃべりをする様子が思い浮かぶであろう。こう考えると、軒や庇がもたらしてくれるものは、機能ばかりではなく、暮らし方そのものであり、コミュニティーであり、日本の文化であることに気付くのだ。しかし今は、人も建物も外とのつながりがどんどん希薄になってきている。高気密・高断熱の家は、梅雨時は除湿、夏は冷房と窓を開ける必要がなく、開くことのない窓には隣の家を気にして年中カーテンが引かれている。その隣人とも最低限のお付き合いのみだ。好んで招いた状況ではないのかもしれないが、こうした風潮に失われていくものの大きさを実感せざるを得ないだろう。外から中へ、中から外へと人の暮らしを自然に導いてくれていたのが、軒の存在だったのかもしれない。  
 



木の家を建てること・住まうこと14 「こども部屋から見えてくるもの」
 
家づくりを考え始める世代は、いわゆる子育て世代、またはこれから子育てに入る世代の人が多い。そうすると当然直面するのが“こども部屋”の問題だ。「こどもの自立心を促すために専用の部屋は必要」と考える人、「なるべく家族みんなで同じスペースで暮らしたい」と願う人、「とは言っても、年頃になればやっぱり必要だろうし…」と頭を悩ませる人、その反応は実に様々。自分たちの意思で間取りを決め、生活をつくっていくことは、とても楽しいことである反面、自分たちなりの考えを持つことを強いられる大変なことでもあるようだ。
 もちろん、ここで教育論的な観点からお話するつもりはない。ただ、家づくりの観点から皆さんにご提案していることは、『可変性を持った家づくり』ということだ。今の生活のみを考慮に入れた家づくりは、いずれ不便さや無駄を感じ始める。そしてその不満が募ってくると、いっそ解体して建替えよう、という話になってしまうのだ。実は、このことが日本の住宅の短命化に拍車を掛けている大きな原因にもなっているのだ。充分な強度を保った建物が、間取りが使いづらいから、気に食わないからといったこちら側だけの理由で命を絶たれてしまうのは、あまりに不憫で、なんとも申し訳ない。私たちは、もうこうした家づくりを繰り返してはいけないと強く思うのだ。
 零では、生活の変化に伴って、間取りを変えることのできる『可変性』を大切にしている。つながりのある大きな空間を構成し、必要に応じて、その時、その期間だけ仕切って独立した部屋にするといった具合だ。例えば、子供達が小さな頃は、元気に走り回れるように広々と、小学校中学年になる頃には、置き家具などで上手に専用のスペースをつくってあげる。中学に入学したら、建具を追加するか、簡単な改築工事を行なって独立した個室に分ける。そしていつか子供達が巣立っていった後は、再び仕切りを外しゆとりのスペースでゆったりと暮らす。こうしたことを容易に可能にする設計を、最初の段階から盛り込んでおくのである。家は観賞用の展示品ではなく、あくまでも生活の場。家族の生活がどんどん変化していくのだから、間取りももうこれで完璧なんてことはあり得ないのである。常に未完成で、可変性=可能性を残しておくことの方が完璧に近いのでは、と思うのである。
 



木の家を建てること・住まうこと15 「庭について想うこと」
 
「家庭」の二文字を分解してみると、「家」と「庭」から成っている。家庭には、「家」の他に「庭」が必要ということなのだろうか。これから家を建てようとお考えの方には、せっかくなのでこの庭についてもぜひ真剣に考え楽しんでもらいたい。
 そもそもなぜ家を建てるのか、その目的は決して家を建て所有すること自体にあるのではなく、その先にある“想い描いた豊かな暮らし”の実現にあるはずだ。沢山のしたいことや、過ごしたい時間を大切に大切に家づくりに盛り込んでいくことが正しい姿だと思うのだ。
 庭についても全く同じ。建物の外観を引き立たせること以外にも楽しみ方が沢山ある。ちなみに私だったら雑木林だ。四季のある日本では、それぞれの季節を五感で感じさせてくれる庭がいい。春にはやわらかい新緑が芽吹き、秋には黄や赤に紅葉した木々が葉を落とす。1年を通して、代わる代わる開く花たちは、短い命を精一杯咲ききり実を結ぶ。そんな雑木林のような庭には、きっと野鳥たちも遊びに来てくれるだろう。
 それと、畑。土を耕し、苗を植え、水をあげ、その成長を楽しみに、時には心配しながら見守る。手間・ひまかけて収穫した作物の味はきっと格別だろう。残念ながら不作に終わったとしても、作物を育てることの大変さと、自然に寄り添った時間は、私たちの中の価値観と行動を確実に変えてくれるだろう。「畑」ほど、立派なものじゃなくてもいい。食べ終わった果物の種を植えたら育つのだろうか、つるの伸び始めた長いもを地植えしたらどうなるんだろう、そんなことを考えたことはないだろうか。庭があったらやってみたいことが次々と沸いてくる。
 日本で新築される多くの家には、きれいに整った庭は沢山あるが、ワクワクするような創造的なものは少なく、どこか画一的に見える。また、国民性なのか、立派なウッドデッキやガーデンチェーブルはよく見るが、そこで時間を過ごす日常の様子はあまり見たことがない。お庭にもっと予算をかけましょうという話ではない。もっと想いを持って、それぞれの楽しみ方を臆することなく日常にして欲しいと思うのである。
 



木の家を建てること・住まうこと16 「循環型エネルギーと、薪ストーブ」
 
自然素材でつくる木の家を好む人の中には、薪ストーブを使いたいと考えている方が結構多い。実際に私たちが建てさせていただいている住まいの半数程度が、薪ストーブをご希望された方の家である。薪ストーブがどれだけ魅力的かについて書こうとすると、あっという間に文字数をオーバーしてしまうため、今回はあまり脚光を浴びることのない、燃料の「薪」について、最近作成した「零の家づくりご案内リーフレット」から引用して紹介したいと思う。―(以下リーフレットより)
 『薪ストーブの燃料となる薪。炎のぬくもりは心安らかにしてくれるものですが、一方で、木を切り出すことが森林破壊を招き、煙突から出る煙が地球温暖化に拍車をかけるのではないかといった心配の声も多く耳にします。しかし、木材を計画的に使うことは、森林を守り、地球温暖化を防ぐことにつながっているのです。
 木はご存知の通り、光合成により大気中の二酸化炭素(CO2)を吸収し炭素(C)を木の骨格として固定し、酸素(O2)を放出しています。実は、この二酸化炭素の吸着量は樹齢30年程で最大となり、その後はあまり増えることはありません。よって、そうした木をそのままにしておくより、計画的に伐採し、若い木を育てることの方が、地球温暖化の防止には有効なのです。また、木は化石燃料とは異なり、永久に循環可能なバイオマスエネルギーでもあります。もちろん木を燃やすことで、二酸化炭素は発生しますが、それを吸収できる代謝の活発な森を育てることの方が、大きなものさしで測ると、はるかに効果的だと言えるのです。
 また、薪ストーブ本体の技術開発により、乾燥した薪を使った場合に排出される煙は、焚き付け時、薪の補給時には多少確認できるものの、燃焼時にはほとんど目視できないほどに改良されています。』―(以上)
 薪ストーブが、一部の人の贅沢品だとする風潮もいまだにあるように感じるが、実はそうではなく、薪を燃料として使うことの意味からもお分かりいただけるように、もっとグローバルで、科学的な裏づけが、その魅力の根底に流れていると思うのだ。
 



木の家を建てること・住まうこと17 「メンテナンスとリフォーム」
 
~メンテナンス~
 自然素材は生きています。生まれも育ちも違い、その性質は均一ではありません。こうした素材を使って家づくりをするためには、やはり、人間の手が必要です。しかも、その手は、知識と技術を伴なった手でなくてはいけません。私たちの家づくりでは、この職人の手が、とても重要なのです。
 最近よく、メンテナンスフリーを売り文句にした家があります。でもどうでしょう、その家は、100年間、何の手入れもせず、何の不満もなく住み継げるのでしょうか。
 私たちの考える家は、メンテナンスを前提とした家です。自然素材の経年変化と、住む人の暮らし方に応じて、ちょっとずつ手入れをすることで、長く住み継ぐことを見据えています。そのための、丈夫な骨組み、可変性のある間取り、そして住むほどに味わいの増してくる自然素材に取り組んでいるのです。私たちの家には完成はありません。それは、育てていくものだと思うからです。
 
~リフォーム~
 今の日本の家の平均寿命は、26年だと言われています。これは、諸外国に比べ極端に低く、建築従事者としては恥ずべきことだと感じています。なぜそんなに短いのでしょう。
 その理由のひとつに、今の家が増改築しにくい家であるという点があげられます。最初から部屋が細かく仕切られている上、骨組みと面材が切り離せない構造になっているため壁を動かすことができないのです。また、合板などの新建材と接着剤でつくられた家は、材料の再利用ができないことが多くコストもかかるため、だったら建て替え!という選択になるのでしょう。
 わたし達は、すべての家が、少しでも長く愛され、使われることを願っています。そのためにリフォームにも積極的に取り組んでいるのです。
 家の根幹である構造の状態を詳しく調査し、広い視野と、その先の長い時間を技術的に考慮した上で、想い描く暮らしを実現する、最も費用対効果の高いご提案をしたいと考えています。
 



木の家を建てること・住まうこと18 「無垢の木でつくる家具」
 
私たちは、無垢の国産材と自然素材を使い木組みの家を建てている訳だが、家の他にも同じ無垢材を使って、仲間の家具職人と共に、家具づくりも行なっている。正直それは、生業のひとつにしていこうというものではないのだが、木の家に合う木の家具を、木の家をつくる者が製作するのは、ごく自然なことであろうと思うのだ。また、私たちにとって、無垢の木の家具をつくることは、無垢の木の家をつくることと本質的に同じであり、それは、言うまでもなく森の活性化のためであり、自然素材が人の暮らしにもたらしてくれる魅力のためである。さらに、一部の人たちのためのぜいたく品としてではなく、誰もが普段使いできるようなものを目指している点でも全く同じだ。
よって、割れや虫食い、節のある材料を使うことも珍しくはない。むしろ、自然のありのままの姿を活かしたデザインのものを得意としている。塗装はキズやシミの付きにくいウレタン系の塗料ではなく、キズもシミも付きやすい植物性のウッドオイルを使っている。なぜならば、無垢の木の風合い、手触り、香りを殺すことなく楽しめるようにである。では、キズが付いてしまうことやシミがついてしまうことをどう捉えればいいのか。私たちの提案としては、自然素材の経年変化とともに深まっていく暮らしの記録を、是非楽しんで欲しいと思うのである。
 先日、小学生の息子さんへの誕生日プレゼントとして、無垢の木の学習机を注文いただき納めてきた。ケヤキの一枚板を天板にし、左右の脚に貫を通し楔でとめる構造の机だ。できあがったその姿は、男の書斎によく似合いそうな自信作となったが、その出来上がり以上に私たちが楽しみにしていることがある。それは、50年後の机の姿である。子供の頃に書いた落書きや、お気に入りのシールの跡。勉強でついてしまった計算式や英単語。もしかしたらラブレターなんかの痕跡も残っているかもしれない。そして、何年後かに人の親となり、その机を小学生の自分にプレゼントしてくれた母親のことを思うとき、私たちは本当にいい仕事をやらせていただいたという満足感で一杯になるであろう。その時が今から楽しみなのである。
 無垢の木の家、無垢の木の家具。ゆっくりと、じっくりと育て、楽しんでいただきたい。 
 



木の家を建てること・住まうこと19 「コミュニケーションのある暮らし」
 
先日、ある教育者の方より、今の子どもたちが抱えている問題とその原因となっている大人や社会の問題についてお話を伺った。そのひとつが「人間関係を形成する能力(コミュニケーション)」の著しい低下だ。知識や技術の吸収・適応能力は高いのだが、自ら周りの人や環境にはたらきかけ、協調性と主体性をもって行動することが苦手なのだそうだ。この二つの能力に生まれた差は「マニュアル」の有無の違いであり、指示のないことに対して、どうしたらいいか分からない子ども達が増えているのだという。ある高校の教頭をしていた頃に「友達をつくりたいのですが、マニュアルはありませんか」と質問された時の様子を、嘆かわしさと大人としてあるいは教育者としての責任を滲ませながら語ってくれた。
 そもそもコミュニケーションとは何か、それは「感性を共有しあうこと」だという。多くの言葉を交わし、同じ時間を過ごせば有効なコミュニケーションが図れているかというとそうではない。言葉はなくても、時間は短くても、「つながっている」と強く感じられることが大切なのだ。帰ってきた家族の「ただいま」の声で、その日あったことがわかってしまうお母さん。黙々と仕事をするうしろ姿を子どもに見せるお父さん。親子で登った山頂で見る大きな自然と、おにぎりの美味しさ。例えば、こうした経験により育まれる情操や感性が、家族と友人と社会とつながり、自然や宇宙へとつながっていくコミュニケーションなのであり、人間としての営みの根幹に違いないと思うのだ。
 家づくりをしているものとして、私たちにできること。素材、構法、間取り、デザイン、ワークショップ。感性に満ちた“つながり”のある暮らしのお手伝いができればと思うのである。
 



木の家を建てること・住まうこと20 「家事とすまい」
 
テレビや雑誌などで様々な家を目にするが、住み手や設計者の「こう暮らしたい!こうつくりたい!」といった明確な想いが伝わってくる素敵な家が実に多い。「人の集まるカフェのような家」「ホテルのような生活観のない家」というように、家が単なる暮らしの場であることを越え様々な価値を持つようになってきているのであろう。自由さと広がりを感じる、とてもいいことだと思う。
 そこで零が、こうした様々な価値観を思い切ったアイディアで表現出来ているかというと残念ながらそうではなく、逆に暮らしのにおいがプンプンとするような家ばかりだ。思うに、単純にそうした家が好きだということと、家の本質が暮らしであることに誇りを持っているのかも知れない。炊事・洗濯・掃除・子育て、そして家族の団欒やそれぞれの趣味。どれひとつとして、取り繕ったり隠したりする必要のあるものではない。むしろ、そこに暮らす家族がそのまんま滲み出るような、そんな素直さと温かさのある家が、美しいと思ってしまうのだ。
 自分のことは棚にあげさせて頂くが、家事を、無意識のうちに、あるいは意識的に奥さんやお母さんのこととして捉えている人は多いだろう。しかし本来、家事とは「家のこと」であり、「暮らしそのもの」であるため、それを自分から切り離し、家から切り離すことはすべきではないし、できることではない。家族みんなが自然と家事に参加し、その家族ならではの暮らしをつくっていけるような、そんな家をつくりたいと思うのだ。家の真ん中にある造作キッチン。洗って干して畳んでしまっての洗濯作業がコンパクトな動線で完結する間取り。程良い出しっ放し感のある使い勝手のいい収納。そして、撫でて磨きたくなる無垢の床やテーブル。こうしたことならいくらでも出来そうだ。なんだか楽しくなってきた。よし、頑張ろう。
 



木の家を建てること・住まうこと21 「食のあり方、家づくりのあり方」
 
ここ2年ぐらいだろうか、食に関する事件が毎日のように報道されている。賞味期限、原材料、産地などの改ざん、輸入食品が人体に害をもたらす事件、食材の使い回しなど様々だ。恐らく、こうした嘘や害は企業や業界内では昔からあった慣例のようなものなのだろうと思わざるを得ない。だとしたら何故そうしたことが今露呈し始めたのか。それはきっと、消費者が今日の日本の食のあり方に疑問を感じ始めたからなのではないだろうか。
 私の家内は、昨年母親になったのを機に、食品を購入するときは必ず裏側をみて、原産や含有物を確認しているようだ。私自身も、そんなに神経質にならなくてもと思いながらも、そうした機会は確実に増えている。でもどこかで、今までだってずっと食べてきたし、たぶん健康だし、被害にあった覚えもないし、これからだって輸入品や添加物の入った食品だって食べるし、大丈夫なんじゃないの、とも思っている。根底では「しょうがない」と思っている節があるようだ。国土は狭いし、人口も多い、でも農業は儲からないんだし‥と。 
 日本の高度成長を支えてきた団塊の世代を親に持つ私たちが、今子育てをしている。私たちが育ってきた食を取り巻く環境が私たちの中の常識になってしまうのは当然のことだが、今それが誤った常識であったことに少しずつ気付き始めているのだろう。良くないと分かっていても、しょうがないで済まされるのは、恐らく私たちの世代までであろう。近い将来、今では考えられないような食糧問題が、自国において、自分の子ども達の目の前に立ちはだかる時が来てしまうのだろうか…。
 私たちの仕事は、家づくりである。しかしながら、この今日における食の問題と、日本の家づくりにおける問題を重ね見ずにはいられない。家づくりも、今が良ければ良い時代はとうに過ぎてしまっていると思うのだ。
 



木の家を建てること・住まうこと22 「生産の現場から見えるもの」
 
記憶に新しいながらも、既に風化しつつある毒入り冷凍餃子事件。驚いたことに未だ解決していないらしい。生産地である中国との政治的な絡みでもあるのだろうか。事実と原因、そしてその後の対応が知りたいだけなのだが、相変わらずこうした声は、大きな組織にはなかなか届かないようだ。
 それはさておき、今回の事件で衝撃的だったのがその生産現場だ。さぞかし、不潔な工場でずさんな管理下で作られているのだろうと思いきや、まるで精密機械の組み立て工場や、研究機関の無菌室のような工場で、これ以上ないくらいの管理がなされているという。そこまでしっかり管理していながら何故という疑問は残るが、多くの日本人はこの映像に、どこか安心感を覚えたのも事実であろう。しかし、私の受けた衝撃は、想像とのギャップを好意的に迎えようとするものではなく、その無機質な空間の中で、一切の人格を排した唯一目元だけが見えるような格好の人たちが作業にあたる現場そのものだ。これが、安全な食べ物を作るために必要なことなのか‥。唖然である。消費者が求めた食の安全の一つの結果が、これなのだ。が、しかし食べたいとか、美味しそうといった気持ちは微塵も湧いてこない。
 私たちの仕事は、もちろん食品を扱うものではないが、野菜と同じ自然の中で育つ樹木を扱っている。この住宅業界においても、食品と同じようなことが起きてはいないだろうか。人間の都合に合わせることを最重要課題として背負わされ、その結果、元来持ち合わせていた掛け替えのない自然の恩恵を失ってしまう。人は、それで幸せなのだろうか。
 先日、国産材の生産現場である、杉の伐採現場と製材工場を訪れた。そこで見たのは、無垢材のポテンシャルを最大限に活かし、その中で利用者の要求に応えるべく、多くの知恵と汗が絞り出されている様子だった。本末転倒に陥ることなく、自然との折り合いをつけながら共生していくことが、人間にとっての幸せに違いないと、確信した時でもあったのだった。
 



木の家を建てること・住まうこと23 「世界を考え、地域で行動する」
 
今回のコラムは、久しぶりにして、なんと最終回。と言うことで、初心に戻って世界と日本の木材の話について。もっとも今回は、あるところから届いたお便りを紹介させて頂きたいのだが、これがかなり衝撃的なのだ。
 まずは、違法木材の話。違法木材とは、「盗伐した木材」「許可された量以上に伐採された木材」のこと。インドネシアから、輸出される木材の約7割がこれにあたる。日本では、国内で消費される木材の約7割が輸入木材であり、そのうちの約2割が違法木材と言われている。つまり、国内の約14%の木材が違法木材と言うことになる。これが意味することは、未だに日本が、世界中で環境を破壊し続けているということに他ならない。
 さらに、不名誉なデータがもうひとつ。「木材を運ぶ距離×木材量」をウッドマイレージと呼ぶが、なんと世界ワースト1が日本なのである。その数値は380億kmにも達し、木材輸入世界一位のアメリカの4.6倍、環境先進国ドイツの21倍にあたる。もちろん立地条件によるところも大きいのだろうが、100%の木材自給能力のある森林資源持ちながらこのざまでは、ドイツに笑われっ放しだろう。
 今、国内の風潮には、中国を悪者視するものが多い。木材に関しても、東南アジアを始め、世界各国から違法木材を含めた多くの木材を掻き集めているのも事実だ。しかし、ほんの数十年前までは、日本が世界中から「森林を食い散らかす害虫」として避難されていたのである。それに、先述したような不名誉な現状を踏まえると、日本は、まだまだ害虫の域を脱していないと言わざるを得ない。
 私たちの周りでは、国産材という言葉を耳にする機会も徐々に増えてきている。また、中国というわかりやすい矛先が現れたこともあって、気持ちの面で、何となく楽になったように感じることも多いだろう。しかし、結論から言うと、まだまだなのだ。私たちの挑戦も始まったばかりだ。  
 このコラムは今回で終わりになるが、私たちはこれから先もずっと、国産材利用の重要性を伝え、実践者として国産材の家を建てていく。それは、ブームでも、ファッションでもなく、本当に必要で、かつ重要なことであると思うからだ。今まで、2年以上にわたりお付き合い頂いたことに心から感謝したい。
 
 
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