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間取りという考え
 
 家づくりにおいて根底にあるのはその生活であり、その生活の場であるのが住まいという器だ。たとえるのなら、茶碗という器を使ってその中に盛られたご飯を食べる。目的はあくまで茶碗ではなくご飯。茶碗はその目的を達するための手段(道具)でしかない。しかし、茶碗がないとご飯を食べることはできない。その茶碗はどのようにご飯を食べるのか、という考え方に基づいて選ばれ、ご飯の食べ方、時にはその味にまで大きな影響を及ぼす。とくに、幼少期・成長期の子供にとってはどんな器で育ったのかが人間形成に大きな影響を及ぼす。

元来、間取りとは「間」を「取る」と言うように、一つの大きな空間から必要な「間」を区切っていくのが本来の意味である。(下図参照)


 
戦後、「個」が尊重されすぎ、プライバシーの名の下に生活する用途別に独立して閉じた部屋を設け、その部屋を廊下を挟みながら継ぎ合わせていく家づくりが主流となった。 「家族の人数+LDK」と言う考え方である。(下図参照)


 
しかしその結果はどうだろう?
家族の距離は遠くなり、各部屋で好きなテレビ番組をみる。廊下で区切られた和室は年に数度しか使わない死に部屋となり、子供が独立した後の子供部屋は無駄なものを詰め込む物置となっている。結婚や死別、独立などの家族の生活の変化に対応できず、わずか平均27年で取り壊される家づくりの始まりだった。
 
 日本人は昔から「間」の使い方がとても上手で丁寧だった。襖で空間を用途に合わせて区切り、必要な「間」を作り出す。また、同じ「間」が使い方で「茶の間」「寝室」「応接間」「家事室」・・・・様々な用途に使われる。(現在の住まいにおいては子供室も同じように年齢にあわせて使い方を変化させられるような間取りは可能だ。)
そこには夜中でも家族に気兼ねなく大音量で音楽を聴ける自由ではなく、家族の中で互いへの丁寧な思いやりと尊重、愛情があったのだろう。
家の中だけではなく、地域との深いつながりが「縁側」という形で具現化されてもいた。
 
 しかし、現代の生活において日本古来の住まいの姿がベストだとはいえない。
 その両極にある住まいの姿においてどちらが正しくてどちらが正しくない、という判断ではなく、そこから学ぶべき事がたくさんあるのではないだろうか?
 
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